愛しさと切なさと心強さと
2018年11月9日午後3時過ぎ
私は熱くなった目頭を微笑みで必死に誤魔化していた。
「感受性が豊か」と、そう言ってしまえばそれまでのことなのだが、これからも私が私である為には思い切って文字に起こそうと思う。
「そうか、自分のことなんて思い出せないくらい、誰かのフリをして生きれば良いのか」
これはいつかの私の言葉。
出来の悪い自分の世話をするのに疲れた私は、自分のことなんて二度と思い出せないってくらい他人のフリをして生きていこうって、そう決めた。
そしたら今までの自分なんて他人だし、他人の面倒見る義理無いし、知ったこっちゃないし。
それから私は、何か辛いことがあっても、物事の本質を思い出さないように思い出さないようにと努めた。
それでもやっぱりたまには思い出してしまうのだけれど。
ここ最近は、私っぽくない服を着て、厚化粧とカラコンで素顔を隠し、誰かみたいな髪型で出かけることが増えたから、私はきっと、だいぶ上手に他人のフリが出来るようになってきたんだと思う。
けれども、だからか、どうしてなのか、心がしんどくて仕方なかった。
当たり前と言えば当たり前の話だが、自分のことを忘れようとした結果、言葉じゃ言えない何かがものすごく悲しいのに、それでもどうして笑顔で仕事が出来るのか、私自身にも分からなかったし、それがうすら怖くもあった。
私ってなんだっけ、なんで生きてんだっけ。つーか誰なんだっけ。何を忘れようとしてたんだっけ。
話は遡り2018年11月9日。
先日チラッとブログに書いたレジ打ちのバイトを、入社して1ヶ月で辞めると決心した私は、派遣バイトの登録会の為、栄に足を踏み入れた。
太陽が昇っている間に栄に赴くのは、酷く久しぶりな感じがする。
無事に登録を終えてラシックに立ち寄った私は、突如思い出した。
そうだ、私は透明が好きで、そう、cathkidstonのビニール傘、イギリス王室御用達の、有名な傘のブランドとコラボしてるやつ。
欲しかったんだ。そうだ。私これが欲しかったんだ。
こっちのお店ではデザイナーさんのハンドメイドイヤリングをみて、そっちのお店では超おこだわりな食器を見るのが好きだった。文房具を眺めたり、店員さんと話をするのも。
あぁ、私にはいっぱいいっぱい好きなものがあったんだ。
矢場町から帰ろうとPARCOへ行ったついでに、以前の私がすっごく大好きだったセレクトショップを覗くと、MIKIOSAKABEの超可愛いお洋服に、melissaの半透明の靴、guernikaのイカすバッグ…………
可愛いの暴力が止まらないじゃないか。
そうだ、私は自分の、「素敵なものを素敵と思えるところ」が、大好きだった。
思い出した。そうか。そうだったのか。
私にも、自分の好きなところがあった。
それに、それを分かち合えるイカした人達のことも、最高に大好きだったんだ。
私にとって栄って街は、篠原涼子にとっての小室哲哉みたいなもんだとつくづく思う。
はぁ〜、強く生きよ。
ううん、弱くても、生きよ。