健康で文化的な最低限度の生活
その日、オクムラは思い出した。
人には皆「身の程」がついてまわることを。
鳥籠の中に囚われ続ける、屈辱を。
どうもこんばんは、オクムラです。
52日前に更新して以来のブログですね。
↓前回のブログ
さて、前回のブログで「逃げるは恥だがなんとやら」って言葉を盾に「かわいい」と戦うことを放棄した私でしたが、私は今、カラコンを買い、ウィッグを買い、少しでも世の「かわいい」に近づこうと、なんだかんだで苦行を続けています。
というのも、
ブスには人権が無いからです。
いやいや最後まで聞いてください。もちろん衣食住は整っています。
では何故「ブスには人権がない」と感じるのか。ここでいう人権というのはですね、発言権、に近いです。
例をあげましょう。
誰かが「ブスと言われた」と悲しんでいるとします。そうした場合、割と頻繁に聞く慰めの言葉は何でしょう。
そう、「気にすんなって!そんなこと言う奴は自分の顔面そんなに立派なのかよw」
これですね。
これ本当によく見ますよね。
あれ?私だけでは無いよな?
言い換えると、「ブスは他人様にブスだとかなんだとか言っとんなよ」ってことですよね。
こやつが「そんなこと言う奴」に対して「自分の顔面そんなに立派なのかよw」と言っていること自体「自分の顔面そんなに立派なのかよw」案件ですよね。
私の言わんとしていることをお判り頂けただろうか?
最初にただ生きていただけでブスと言われたブスにも人権は無いし、ブスにブスと言ったブスにも発言権は無いし、ブスにブスと言ったブスにブスをほのめかしたブスも発言権無いですよね?こんなこと言ってる私もブスだし発言権無いですよね?
果たして衣食住だけで「健康で文化的な最低限度の生活」を叶えられるのでしょうか。
そんなこんなで、人権獲得の為にカラコンを買ってウィッグも買ったというわけです。
あれから月日は経ち、まずは個性的と言われてしまうファッション、髪型をやめることにし、ショッピングの全ての判断が「普通の女っぽいか否か」に基づいています。
この話を言葉にするか否か考えましたが、ここで言わない選択をしたらそれこそ発言権無いので言うことにしました。
ブスって言葉はまるで呪いのよう。
そのうち普通の女っぽいブログを書けるようになることを祈って。