見えない物とは戦えない

映画を観た。「メゾンドヒミコ」。

それは、"ヒミコ"がゲイバーのママを引退した後に始めた、ゲイの為の老人ホームでの出来事。

「本当はドレスが好き」ってことが誰にもいえなかったゲイのヤマザキさんが、真っ白のドレスを着てディスコへ行き、老人ホームのみんなで楽しく踊るシーンで泣いた。

ずっと夢だったって言って、ディスコの紅いお手洗いの豪華な鏡でリップを塗り直すヤマザキさんは、色っぽかった。

生まれ変わったら女になりたいから、死ぬのは怖くないなんて言う笑顔は切なくて、
自分が何となく送る生活が、誰かにとっては喉から手が出るほど欲しいものだなんてわかってはいたけれど、
お化粧直しがそれだなんて、考えもしなかった。



せっかく女に生まれてきたのに、可愛らしくできないなんて"彼女達"に申し訳ない。
こういう気持ちになることがよくある。

私は女として生まれてきたけど、人から愛されることを気味悪く感じ、興味を持たれると鬱陶しく感じてしまう為、毎日ブスっとして、振り撒く愛嬌なんてない。



映画を観て、肌寒い頃に遊びに行ったオカマバーを思い出した。
私の前に腰掛けた甘そうな名前の彼女は、ミニスカートから覗くすらっとした脚をぴったりとくっつけ、お膝の上には可愛らしいハンカチーフをふわり。


こういう人に、私もなりたい。

landmine思考は地雷女と化す

「あいつら縦横無尽に動き回るからな!」

弟がおもむろにバイト先のデブ達に文句を言い始めること数分、ついに声を荒げ言い放つ。

周りを全く見ない上に自分の車幅を全く理解していない為、あらゆるものや人にぶつかりまくるらしい。
「原付の気がしたけどハイエースだった」みたいな話だ。



先程私は"デブ達"と説明したが、弟の言葉から引用したものである為、私自身は肥満体型の人を"デブ"と呼ぶことに余りしっくりきていない。
デブは何となく、脂肪ではなく筋肉という印象があるからだ。

そうなってくると相撲取りなんかはマシュマロボディならぬ筋繊維ボディだと聞いたことがあるし、"デブ"に属するような感覚があるが、彼らは職業柄なので"プロのデブ"となる。

しかし相撲は昔からある日本の国技なので、ゴルフのように"プロ"ってのは違うんじゃないか?と。

閃いた。そうだ、
"老舗デブ"にしよう。


そんなことを考えるより先に調べた方が早いと、"デブ"の語源を調べてみた。

諸説あるらしいが、江戸時代の言葉、「でっぷり」や「でぶでぶ」を語源とする説や、「出不精(でぶしょう)」の略だと謳う説もある。

中でも驚いたのが、「Death and Burst」からきているのでは?という説。

「(死と爆発)」って、"デブ"は歩く爆弾…?
そんな十字架を背負わせるなんて、最初に"デブ"呼ばわりした人間は極悪非道人だ…


知ってしまった所以、これから先、肥満体型の人を見つける度に手を合わせて神に祈りを捧げてしまいそう。
今日も祈りを、大蛇のようなロザリオで。

幼い頃は嘘をつかない

現在、2020年1月25日、時刻は午前3時を回った頃。
好きな人に会いに行くのが楽しみで眠れないでいた。

今日に至るまでの私の準備は完璧だった。
「かわいい」と思ってもらえるようコンサバな洋服一式を買い揃え、いつもより念入りにハンドクリームを塗り、大して伸びていない爪を切って磨いてピカピカにした。


女性らしくすることがずっと怖かった。今も怖い。
あまりの恐怖に1000字を超える超大作を書いてしまった。

私の記録として公開することにする。



「汝が良妻を持たば幸福者にならん。悪妻を持たば哲学者にならん」

名言として現在も世に残っているこの言葉だが、これを遺したソクラテスは哲学者である。
こんなに賢い愚痴は初めて聞いた。



世界一可愛いニホンザルのカイくんは、アニマルトレーナーのクロダさんと絶対に目を合わせない。

ニホンザルの習性で、目を合わせたら「喧嘩の合図」になるかららしい。
「歯を見せる」行為も威嚇する行為なので軽率にしないほうがいいと聞いたことまである。

私は、話している相手の目を見るのが酷く苦手で、笑顔を強要される卒業アルバムの撮影も苦痛だったので、そういった特性に指を差し、脅し、嘲笑してくるような輩には、ニホンザルの習性に理解とご協力頂けるようお願い申し上げている。

同じ境遇におかれるすべての彼らのためなら、ソクラテスになってもいい。



しかしながら、

「赤ちゃんが可愛いのは、可愛くないと愛してもらえないからだ」

この話を聞いてものすごい衝撃が走り、やけに合点がいったことをよく覚えている。


たしかに赤ん坊ってやつは、講談師ほどモノを言わないし、冨永愛さんのようにランウェイを歩くことも出来ない。

なるほど、私は自分のことをニホンザルだなんて思っている場合ではなかったのだな。
私は赤ん坊だった。

人の目をみて会話をし、どんな時も笑って過ごし、可愛らしくすることを受け入れた人間の方が、人から愛されるだろう。



生理をタブー視するのは何故なのか宗教学という面で紐解くと、「女性が人を産む」ことを脅威に思った男性らが背景に存在していた。

人を産むというのは人を産んだ"神に近い行為"だと認識し、それが女性に対する脅威に変わったことが、今の今まで生理がタブー視されてきた所以らしい。



私はフェミニストではないが、一部の男性による「女性に対する美の強要」と一部の女性による「男社会を生き抜く力」に時たま反吐が出そうになる。


私の性自認が男性だったにしろ目をみて会話をし、笑わないよりは笑った方がいいという世間の共通の認識は覆らないものの、
こんなにも人生で同じ壁にぶち当たるのは、そしてその理由がこんなにもしょうもないのは、

女はただ美しくなければならなくて、美しくなることで生きやすくなり、
それでも私はニホンザルで、ソクラテスで、赤ん坊のように可愛さで愛されようとする彼女らに時たま反吐が出そうで、
そんなのまるで、女性の出産を恐れた大昔の男性のようだ。最悪。



ハッと我に帰り、布団の中で抱きしめたぬいぐるみを見る。
4歳の頃からぬいぐるみが好きで、それぞれに名前と性格を細かく設定してあって、世話焼きで怒りっぽい子もいるし、いつも眠たい忘れんぼうさんも、ピンクの苺の可愛い服を着た男の子だっている。

私の相棒のごまちゃんは、言葉を話せない。ぬいぐるみだからではなく、「言葉を話せない」設定だ。
その上薄暗いジメジメした狭いところが好き。

でもごまちゃんは最高にイカしてて、みんなはみんなのまま愛されて、私は本当はこうなりたかったんだ、この世界を夢見ていたんだって、もう4時を回った今頃気付く。22歳でやっと気付いた。


私は人を愛したい。世界も愛したい。宇宙をまるごと愛して、最後にはごまちゃんのように微笑みたい。

日記

「少年よ、前を向け」

帰りしな石を蹴って遊ぶランドセルの小僧に、少々の憎しみと警告を込め、念を送る。

インスタグラムを開き、「穏やかな時間 タマは頭を撫でられるのが大好きです。」のキャプションとともに投稿されているのは、デカめの猫よりデカいイグアナの写真。

少年に前を向いて欲しいからと言って私はクラーク博士ではないし、タマは猫じゃなかった。

私はこんなだけど壇蜜になりたいし、世界はおかしなことばかり。

ふつつか者の恋ですが

少しばかりの中国風味。サウンドにはめ込んでキレよく揺れる、向日葵色のワンピース達。
私は、星野源の『恋』を聴いていた。
見ての通り浮かれている。

今週末、好きな人に会いに行く。一緒に餃子を作ると決めた。ブラックペッパーと酢の分量は7:3、いや8:2でもいいくらい。

緑の会議室は大盛り上がり。
友人と私で、私の好きな人をプロファイリングしていく。"べっぴんさん"が好きって、大人っぽい方が好きってこと?

ワクワクと酸っぱさの分量は7:3?いや、8:2くらいでどうよ

後遺症

マッチングアプリで知らない人から送られてくるメッセージというのは、小藪座長にどつかれそうな程につまらない。

🤣😂☺️😊✌️🌷💥👏✋💁‍♀️🙆‍♀️💫のうちどれかを語尾に付けておけば大体楽しそうになる。いや知らんけど。

複数人に複数回絵文字を付ける作業をすると、今まで一度もこんなのつけたことない相手にまで🤣とつけてしまいそうになるので、マッチングアプリには後遺症が伴うと知る。


そっとLINEを開き、好きな人のプロフィールをみる。

愛着故、「ガーゴイル@ノートルダム大聖堂」と登録していたのだけれど、そんなへんちくりんな愛情に、私はバツを打った。
もう彼は、ノートルダム大聖堂の腕を伸ばし切った可愛い可愛いガーゴイルではなく、ただの一個人。


どうでもいい相手とどうでもいいやりとりをするうち、楽しそうな文章を真顔で打つのが少しばかり上手くなって、
どうでもいい相手とどうでもいいやりとりをするうち、もう一個人に興味が湧かない。

コンサバになりたい

田中みな実さんには誰もなれない…」

その時私は、竹刀の両端を掴み腕を後方へ回していた。
こんなことをやっているのは、戦いたいからではない。肩甲骨の筋肉を鍛えている。

ここを鍛えると、痩せやすい体質になると田中みな実さんが話していたからだ。
美のシンボルとして崇め奉られている人が言っているのだから、信憑性はかなり高い。

しかしながら、ガラスに反射した自分自身は喧嘩ふっかける間際のスケバンのようである。
田中みな実さんには程遠く、しばしこの世界の悲しみに暮れることとなった…