第三次カラーコンタクトの乱

身もふたもないことを言わせてもらうと、「かわいい」とは一体なんであろう。

 

私は三白眼である。

黒目が小さく、目つきが悪く見えがちで、顔の作りが余程整っていないと「かわいい」からはかけ離れてしまう"個性"の1つだ。

 

しかし世は「大カラコン時代」。

通販サイト、ドン・キホーテ、薬局、さらには眼科の商品棚をも練り歩く。

 

入れるだけでたちまち黒目がちに見え可愛らしくなる、まさに三白眼の、私のために作られたような代物である。

 

「メイクもファッションも整形も自己満足。存在しない"みんな"という概念に騙されては、何も見えなくなるぞ」

 

「いや、ここは大人しく世の"かわいい"とやらに従ってみては?」

 

「そーだそーだ!そもそもブスのお前に選択肢は無い。カラコンぶち込んでアイプチで二重幅を広げる以外、"かわいい"に近づく手段はない」

 

今日も今日とて脳内会議。もう私同士が私の為に争うのはやめてくれ。

 

 

世間にカラコンが蔓延っているのはきっと、「"みんな"黒目が大きくない」からである。"みんな"黒目が大きくないのに、"みんな"偽の黒目をくっつけて生きてる。

 

批判しているのではない。理想を追い求める姿はサイコーにカッコいい。ただ、私のような個性で戦うしか無いような人間がカラコンを手に取ってしまったら、「かわいい」はただの「かわいい」であって、絶対に「私のかわいい」にはなり得ないということが証明されてしまうのでは無いだろうか。

 

 

「かわいい」とは、呪いだ。

昔から、「かわいい」ものを避けがちだった。自分には似合わない。女なのに似合わないのが恥ずかしい。

 

"個性で戦うしか無いような人間"という表現に、私の長年連れ添った言い訳が顕著に現れている。いくら努力しても「かわいい」が似合わないことがわかっているから、「かわいい」女の子達と同じ土俵に立つのが怖い。

 

 

「かわいい」女の子達が羨ましい。その勇気と努力と度胸と愛嬌が。

 

 

 

 

 

緑色の私は、きっとこれからもうなされ続けることになるであろう。

「かわいい」の呪いに。